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    史跡と歴史散歩

史跡と歴史散歩

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テーマ: 史跡と歴史散歩
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戦国時代、武田騎馬軍団は最強に疑問
 映画やTVで描かれる合戦場面、多数の騎馬武者が一斉に波状攻撃を仕掛けるところを見るのだが、実際はどうだったのであろうか?  実のところ、描かれているような騎馬軍団は存在していなかったのである。.. » more

敵に包囲された籠城側の対応
 前回は城を攻める側をUPしたが、今回は攻められる側の応戦策をUPすることにしたい。  籠城を覚悟した武将は、米、大豆、味噌、塩、糠、乾し魚、海草等の食糧を城下から掻き集め、できる限り城内に運び.. » more

戦国時代の戦では、刀と槍どちらが有利
 戦国武者というと、刀姿か槍姿が思い浮かぶが、戦場ではどちらが役に立ったのであろうか?  それは、勿論「槍」の方である。  映画やテレビの時代劇では、武者が刀を振るって戦っている姿が出てくるが.. » more

戦国大名の書簡とは
 戦国大名というと、合戦に強いとの印象を持ちがちであるが、そうではなかったのである。  領国をしっかりと統治し、人心を引き付けることも必要であったのである。  さらに他の大名との外交交渉もあり.. » more

山内一豊の妻「千代」の末
 戦国時代、流浪のどん底から、土佐24万石の大名にまで昇りつめた山内一豊の出世物語で有名な妻「千代」。  内助の功で知られているが、一豊が亡くなった後はどうなったのであろうか?  山内一豊が出.. » more

 戦国時代の「城」は、現在で云えば“役所兼首長公邸”といってもよい。  知事か市長に相当する城主やその家族、さらに世話係等が城で暮らしていたといってよい。  一方、他の家臣は、現在でいう公務員.. » more

戦国時代、戦場での「合言葉」
 合戦に勝つ為には、味方同士の連絡を図る必要があった。  その連絡方法の一つに「合言葉」があったのである。  「合言葉」は、まず敵味方の識別に使われた。  小さな部隊同士の合戦ならともかく、.. » more

 刀狩りを最初に行ったのは、豊臣秀吉ではなく、越前(福井県)で、一向一揆を鎮圧した柴田勝家とみられている。  しかし、歴史的に有名なのは、何といっても豊臣秀吉の「刀狩り」であろう。  まず.. » more

戦国時代の出陣式の意味
 戦国時代、イザ戦となると必ず行われたのが「出陣式」である。  現在の選挙でも行われている「出陣式」は、戦国時代からきていると云われている。  選挙での出陣式は、候補者や関係者も鉢巻をするなど.. » more

伊達政宗が父親を見殺しにした理由
 伊達政宗は、実の母親に毒殺されそうになったり、実の父親を見殺しにするなど、複雑な体験をしている武将でも知られている。  伊達政宗が父との悲劇に遭遇したのは天正13年(1585)、正宗19歳の時.. » more

上杉謙信の死因
 天正6年(1578)越後の上杉謙信が死去する。  同年3月9日、厠で倒れるのであるが、俗に脳卒中であった。  昏睡状態のまま、5日後、49歳で世を去った。  上杉謙信の脳卒中による死につい.. » more

最後の将軍足利義昭のその後は?
 室町幕府の最後の将軍・足利義昭は、織田信長の後ろ盾で将軍になったのだが、、信長に権力が集中するにつれて、二人の関係は冷えていくのである。  義昭は、天正元年(1573)7月1日、山城国の宇治填.. » more

 
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