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雲ながるる果てに

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テーマ: 雲ながるる果てに
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 山田和夫さんという卓抜した映画評論家がいらした。しんぶん「赤旗」に日々、その時々上映中の内外の映画評論を書き好評を博していた。私などは山田さんが選んだ映画のみ映画館に足を運んだものである。当時雑誌「.. » more

 「沖の鴎と 飛行機乗りは どこで散るやらね 果てるやら ダンチョネ」この歌は戦時中、特攻隊員が出撃の前にひらかれた「送別の宴」で決まってうたったという。  そろそろ酔いががまわりかかったころ、.. » more

これは69年前、軍国少年だった「満洲っ子」の忘れられないメモリーの一つである。1944(昭和19)年の12月にフイリピンでゼロ戦に搭乗、特攻死した兄(神島利則=かみしまとしのり)の戦友たちが、遠く大陸.. » more

今日(5月29日)は、昭和が生んだ最大の女性歌手、美空ひばり(1937年5月29日~1989年6月24日)の生誕77年、没後25年にあたる。生誕地横浜の旧宅が一般に公開されるなど各地で記念式典が催され.. » more

海軍飛行学生の主力は東京六大学をはじめ、ほとんどの大学、高専、師範学校の出身で占められていた。以下の二人は、奇しくも早稲田と慶応。「都の西北」と「丘の上」が4月29日という同日、搭乗機も同じく零戦、沖.. » more

特攻隊員の選出は形式上は志願という形がとられていた。しかし、内実は、上官から”大義”への道を説かれ、あるいは、周りの状況にやむを得ぬものを感じて自らも名乗り出ているのだった。こうしてわれに死を覚悟させ.. » more

特攻隊員の遺書。そのなかには”母上様””母を思う”という言葉が多い。国を護る。母を思う。特攻隊員たちの心には、果たして、どちらが深く沈んでいたのだろうか。 ●矢野 昇海軍中尉  中央大学 .. » more

4月6日呉の軍港を片道の燃料だけを積んで出撃した日本海軍の戦艦「大和」は7日、奄美大島沖で撃沈された。戦没者3千数百人と聞く。一方、空からは残り少ない「ゼロ戦」を全国からかき集め沖縄へ突っ込ませる無謀.. » more

海軍には零戦という艦上戦闘機があった。開戦当初は名機としてもてはやされたが、大戦末期は特攻機として使用され、250キロで爆装して若者の多くが南方で、沖縄で突っ込んでいった。名機どころか悲しい末路をたど.. » more

●小島 博海軍中尉 「教え子へ」 東京第一師範 北海道出身。昭和20年4月12日沖縄方面にて戦死、特攻ロケット「桜花」搭載した一式陸上攻撃機上で戦死。 22歳。  お約束のお話、大変遅れてご.. » more

以下に掲載する4人の海軍飛行予備学生。緊迫した状況の中で合作で川柳を百首つくり飛び立った。2人は6日、後2人も11日、相連れ立って突っ込んで行き、帰らぬ人となった。彼らがどのような心情で作成したのか推.. » more

昭和20年4月1日、米軍は千数百隻の艦隊と50万人に近い兵力をもって沖縄への攻撃を開始した。制海・制空権を奪われていた日本軍が最後の頼みとしたのが”特攻”だった。6日は呉軍港から戦艦大和が出撃、沖縄戦.. » more

 
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