誰でも作れる機能充実のブログが無料
  1. ブログ 無料のウェブリブログ|トップ
  2. テーマ
  3. テーマ「

    六角義実研究

六角義実研究

ブックマーク はてなブックマークに追加 Google Bookmarks に追加 Yahoo!ブックマークに登録 ライブドアクリップに追加 イザ!ブックマーク Buzzurlにブックマーク
テーマ: 六角義実研究
テーマ「六角義実研究」のブログを一覧表示!「六角義実研究」に関するみんなのブログを見てみよう!
読みたいブログを検索
前のページ    1  2    次のページ
江州宰相の研究・序
 『鹿苑日録』天文五年(一五三六)五月十四日条に、江州宰相という人物が登場する。天文八年(一五三九)五月十九日条および二十日条には、宰相が上洛および下向した記事がある。この記事に関する頭書が、『鹿苑日.. » more
テーマ 六角義実研究

六角隆頼
 これまで、六角氏綱の跡はただちに弟定頼が継承したと考えられてきた。しかし氏綱(佐々木四郎、近江守)の没年は永正十五年(一五一八)であるにもかかわらず、定頼(弾正少弼)の近江守護職補任は天文六年(一五.. » more
テーマ 六角義実研究

足利義晴祝言と四郎殿父子
 管領細川氏(細川京兆家)内部における高国と晴元の抗争によって、十二代将軍足利義晴は近江への逃亡生活を余儀なくされ、六角氏の居城観音寺場内にあった桑実寺に仮幕府を開いた。そのような中での天文三年(一五.. » more
テーマ 六角義実研究

長命寺結解と四郎殿様
 六角四郎と義賢を明確に区別している例は、六角氏の本国近江国内の資料にもある。それが『長命寺結解』(9)である。長命寺は、六角氏の祖佐々木秀義の菩提寺である。秀義(源三)は鎌倉幕府草創期に源頼朝の挙兵.. » more
テーマ 六角義実研究

佐々木四郎公能
 四郎殿様と義賢が別人であったことをダメ押しする決定的な資料がある。それが『証如上人日記』(11)天文十年(一五四一)十月五日条である。本願寺証如が将軍足利義晴(室町殿)に馬を進上したが、その返礼とし.. » more
テーマ 六角義実研究

義久という人物
 『鹿苑日録』に義久という人物が登場する。彼は鹿苑院主梅叔法霖と交流があり、十代将軍足利義稙十七回忌の主催者になるなど幕府内の有力者でもあった。しかし辻善之助編『鹿苑日録総索引』(12)でも氏姓が記さ.. » more
テーマ 六角義実研究

義久と恵林院殿十七回忌
 『鹿苑日録』天文八年(一五三九)二月二十九日条に、六角定頼(霜台)が鹿苑院主の法霖に書状を遣わした記事があり、さらに続けて法霖が恵林院殿(十代将軍足利義稙)十七回忌料について大館晴光(左衛門佐)に問.. » more
テーマ 六角義実研究

足利将軍の猶子
 義久が足利義稙十七回忌の法事の主催者であり、しかも僧録鹿苑院主にとって「御成」の主体になることは、義久が足利氏の連枝と目されていたことを示していよう。たしかに沙々貴神社本では、義久に当たる人物「義実.. » more
テーマ 六角義実研究

義久の出家
 実は足利義稙法事の記事で、義久は「義久入道」と記されている。しかし沙々貴神社本によれば、義久(系図では義実)は永正七年(一五一〇)の生まれである。義久の父氏綱は永正十五年(一五一八)に享年二十七歳で.. » more
テーマ 六角義実研究

義久入道と宗能
 義久が天文六年(一五三七)以降に「宗能」と名乗っていたことは、『続群書類従』所収の三上系図に付けられている三上文書によって知ることができる。義久が「義久入道」と呼ばれる時期と重なる。この文書の原本は.. » more
テーマ 六角義実研究

六角定頼の近江守護補任
 叔父定頼の近江守護職補任は、義久が出家したと考えられる天文六年(一五三七)である。しかも、定頼は近江守護のまま幕政にも大きく関与した。江州宰相を補佐するための近江守護職と考えられる。  ところで六.. » more
テーマ 六角義実研究

義久一周忌
 江州宰相の没年について系譜伝承に混乱があり、特定できない。沙々貴神社所蔵佐々木系図では没年月日を天文十五年(一五四六)九月十四日とし、法号を東禅寺殿仁山崇義大居士とするが、『江源武鑑』では没年月日を.. » more
テーマ 六角義実研究

 
前のページ    1  2    次のページ

テーマのトップに戻る