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武田信玄

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テーマ「武田信玄」の記事を新着順に表示しています。(3ページ目)

小説 『武田勝頼』 を読み終えて 昭和50年代に執筆された小説を今になって読み終えました。読んでみると武田氏に対する考え方がまた新たな道に進むようです。著者の新田次郎氏は、長野県諏訪の出身で、先祖は諏訪家に仕える郷士であったそうです。新田氏が幼少の頃、祖父より多くの ... » more
テーマ 雑記 武田信玄 武田勝頼

武田軍の馬について 武田氏館から発掘された馬の全身骨格が復元されています。この馬は武田氏館の西曲輪南側の枡形虎口の馬出空間より発見されています。虎口なので、現代で言えば敷地内への出入り口に相当します。武田氏館(躑躅ケ崎館)は武田氏時代の天正 ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

武田軍の騎馬はポニー? 武田家には秘蔵の馬が居ました。その名は「鬼鹿毛」。その大きさは四尺八分八寸=約148cm。この大きさの基準は体高といって、足の先から肩(首の付け根)までの長さで示されています。ポニーの定義はというと、この体高が147cm以下の馬をポ ... » more

歴史散策―真実を求めて―武田信玄と馬
武田信玄と馬 武田軍の総帥、信玄公の馬との関わりは、『甲陽軍鑑』に記されています。当時、武田家の当主は、信玄の父、武田信虎でした。信虎の愛馬は、「鬼鹿毛」と呼ばれていた秘蔵の名馬でした。記録によると、四尺八寸八分=約148cm。当時勝 ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

歴史散策―真実を求めて―甲斐の黒駒
甲斐の黒駒 先日の金曜日、台風通過により、天気予報は大幅に変わり晴天に恵まれました。平日の休みなので、山梨へ向かいました。温泉に浸かったあと、山梨県立博物館に行きました。紅葉が始まっています。博物館の敷地内の広葉樹も色が鮮やかになっていました。 ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

歴史散策―真実を求めて―滅亡の狼煙
天文十一年(1542)、いよいよ武田軍の諏訪侵攻が開始されようとしています。戦国時代というのは、戦いでありますがそれは何も全てが戦闘ではありませんでした。戦いは最後の決め手とも言えて、実際には戦う前から勝敗はある程度見えていました。 ... » more

日本史の「油断」01 信玄公の”完勝”否定論 「腹八分目に医者いらず」という言葉がある通り、健康面を考えるなら満腹を避け八分目くらいで留めておく方が良いのは確かでしょう。つまり「一時の食欲」を”完璧”に満たしてしまうことは、長期的な目で見れば、なにかとマイナスになると言 ... » more
テーマ 本土決戦 日本海海戦 武田信玄

歴史散策―真実を求めて―味醤の味
武田晴信と湖衣姫の初対面の場が訪れました。今回の対面は、晴信への見舞という形で執り行われました。その席に諏訪湖産の大田螺(たにし)と味醤で味付けした汁が出されました。湖衣姫の姿を見た晴信の印象は次のように記されています。晴信の湖 ... » more

日々世間の中に身を置いていると、弱きになることが有ります。武田信玄公も人間である以上、ちょっと弱気になっている時があったようです。信玄公と自身では立場が全く違います。信玄公には何時も国(甲斐の国とその他の領地)の行く末がのしかか ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

歴史散策―真実を求めて―二人の武将
新田次郎氏の歴史エッセイの作品に、『二人の武将』があります。その作品の中に武田信玄関連のものが5編あります。二人の武将・武田信玄の孫・天、味方せず馬場信春・武田勝頼は凡将ではなかった・信濃の女新田氏の作品、『武田信玄』がどの ... » more

歴史散策―真実を求めて―湖衣姫
湖衣姫 信虎追放後、甲信国境での戦を、新田氏は長坂の戦と命名しています。この戦いは、『甲陽軍鑑』に記された瀬沢の戦をモデルにしているものと思われます。戦い後、本陣の床几に腰掛けていた晴信の下に、板垣信方がお館様―、と声をかけ、引き合わせたい ... » more

歴史散策―真実を求めて―手扇
タイトルの手扇とは、愛妾に渡した手扇です。小説『武田信玄』において、武田晴信の初恋の女性、「おここ」に渡した扇です。その扇には風林火山の四文字が書かれていました。その文字は、おここに頼まれて晴信が書いたものでした。その手扇が ... » more

奈良井宿へ―2― 翌日目が覚め廊下の窓を見ると、太陽の日差しが降り注いでいました。窓を開けるとひんやりとした空気が覆ていました。7時前に宿の前に出てみると晴天の下の奈良井の宿場がそこにありました。誰もいない精悍な街道です。朝食時宿の方 ... » more

歴史散策―真実を求めて―雨情無情
小説『武田信玄』の最初の見せ場です。世代交代の時が来ました。通説によれば、武田信虎は甲斐国主の座を失いました。その経緯の確たる証拠はありません。後世に残された史料等から事実だけは確認できます。それぞれの史料には追放に至る断片的な ... » more

―陣中の恋歌― 隣国駿河今川家の所に、甲斐武田の父子からそれぞれの手紙が届いていました。共にそれぞれの父や子を今川家で預かって頂きたい―、という内容でした。今川家の当主、義元が手紙を見ながら思案していると、山本勘助が戻ったとの知らせがありました ... » more

―青梅の舞― 小説に次のような一文があります。晴信は笛吹川の上流へ向かって馬を馳せていった。その野駆けの途中で、一人の青年に出会います。出会うと言っても、晴信主従の前を素通りしていくのです。その馬術にはっとした晴信は、側近の石和甚三郎に追 ... » more

―早春孤影― 武田信玄を題材にした小説として著名な、『武田信玄』。作者は新田次郎氏です。自身がもっている小説は、古書店で購入したものです。第30刷で1987年10月1日に刊行された物です。ですからこの本は、昭和62年刊行、翌年には大河ドラマ「 ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

日本史の「デジャヴ」09 怪しき肖像画は続く たとえば、聖徳太子・源頼朝・足利尊氏・武田信玄・西郷隆盛など・・・こうした歴史上の人物の「風貌」を、おそらく多くの人は下のような肖像画でイメージするのではないでしょうか?ところが、これらが「本当に本人の肖像か?」と突っ込まれ ... » more

『甲陽軍鑑』をざっとですが一通り読み終えまして、再度読み直しています。難しい言葉や自身が読めない漢字を辞書等で調べ、教養を深めています。初めて目を通しました。武田信玄公の弟、武田典厩信繁が子息、武田信豊(『軍鑑』内では長老となってい ... » more

武田信玄と歴史―他人を評価する― 現代語訳ですが、『甲陽軍鑑』を読み終えました。この書物は信憑性の面で色々と言われていますが、この書自体の価値は歴史を伝えるというものではないですね。世間に広まったのが江戸時代初期、徳川政権下なので、家康の記述には気を使っているよ ... » more

武田信玄公の命日―2― 本日5月10日は、旧暦の4月12日にあたります。信玄公は大永元年(1521)11月3日に誕生したとされています。亡くなられたのは、天正元年(1573)4月12日と伝えられています。今年で、441年が過ぎました。信玄公が生きた時代は数 ... » more

武田信玄公の許へ 先日、4月26日信玄公の許へ行ってきました。信玄公の命日は、4月12日です。旧暦では14日後、新暦では15日前です。ちなみ旧暦を現代の暦で表記すると、5月10日が信玄公の命日です。5月となると随分と温かくなりますね。その辺りに信玄公の死 ... » more

武田信玄公の命日 本日4月12日は、武田信玄公の命日です。信玄公が亡くなられたのは、天正元年(1573)四月十二日です。よって今年で441年目となります。現代は新暦です。信玄公の命日は旧暦の四月の十二日ですので、新暦で表すと5月の13日となり ... » more

『甲陽軍鑑』品第四十一軍法序法度の元五つの事―という記述があります。その中で、(前略)大将の指揮が的確だということが肝要な点である。的確な采配は、よき法度によって行なわれる。よき法度のそのもとには五つある。一 ... » more

信玄公の名言に次のものがあります。工夫と思案とが別のものであるように、分別と才覚とは、別であろうとあります。その理由について、世間には、分別があって才覚のない人があり、また才覚はあるが分別のない人もいるからで ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

信玄公の名言に次のようなものがあります。渋柿は渋柿として役立てるというものであります。『甲陽軍鑑』品第四十上石水寺物語に記されています。ある夜信玄公がいわれた。「渋柿の木を切って木練(こねり=甘柿の一種)を接 ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

武田信玄と歴史―春夏秋冬の人材― 信玄公の名言の中で次のようなものがあります。『甲陽軍鑑』品四十上石水寺物語に記されている。ある時、信玄公がいわれた。「国持大名が人を使うにあたっていちずに一つの側面だけを好み家臣について同じような行儀・作法の侍ば ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

先日、山梨県立図書館で武田家関連の書籍資料を閲覧していたところ、聞き覚えのある人物名がありました。地方誌の『甲斐』36号に「山本勘助の虚像と実像」と題する柴辻俊六氏の論文で、その中の一文に次のような記述がありました。『軍 ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

信玄公の名言を紹介した書籍を何度も何度も繰り返し読んでいます。信玄公の名言は、当時だけではなく現代にも通じるところがたくさんあります。信玄公が生きて居た時代を通称戦国時代と呼んでいます。これは後世の人が過去の歴史を振り返りそう呼 ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

武田信玄と歴史―果報と時刻― 久しぶりに、山梨県山梨市のほったらかし温泉に行ってきました。晴天の下の露天は最高ですね。風が強いせいか、空気が澄んでいるのでしょうか?、富士山がとても綺麗に見えています。小生の恒例となっている甲府市岩窪の信玄公のお墓に足 ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

 

最終更新日: 2017/11/15 15:55

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