誰でも作れる機能充実のブログが無料
  1. ブログ 無料のウェブリブログ|トップ
  2. テーマ
  3. テーマ「

    武田信玄

武田信玄

ブックマーク はてなブックマークに追加 Google Bookmarks に追加 Yahoo!ブックマークに登録 ライブドアクリップに追加 イザ!ブックマーク Buzzurlにブックマーク
RSSフィード RSSとは?
関連テーマはありません。テーマトップ
テーマ「武田信玄」のブログを一覧表示!「武田信玄」に関するみんなのブログを見てみよう!
» 「武田信玄」の関連商品とブログの評判・レビュー を探すなら商品ポータルで!
読みたいブログを検索
テーマ「武田信玄」の記事を新着順に表示しています。(1ページ目)

歴史散策―真実を求めて―穏心不係人
穏心不係人 自己満足の小説を書き始めたら、調べ物が増えてしまった。治水技術や治水の歴史を調べていたら、いつの間にか、「孫子」にまでいってしまった。孫子というのは兵法書で、孫子を書いた人は、孫武(そんぶ)と孫臏(そんぴん)である ... » more

甲陽軍鑑末書には、武田義信の死に関する記述がある。末書上巻の六には、古屋惣次郎という家臣を名指しして、義信の無用な仕置を述べている。義信は、この古屋を代官に任命している。その理由として、義信はその人物のことをしっかりと知り得てい ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

歴史散策―真実を求めて―決断
決断 長いこと生きてると、一度や二度は大きな決断に迫られることは多分あると思う。この時に曖昧な考えで決を下すとその後の人生はどうであろうか?小生は最近、この文明社会からの離脱をしたような雰囲気でもある。文明社会と云うと何やら大げさでは ... » more

歴史散策―真実を求めて―志し
志し 最近はまっているふりかけが有る。「わさび」という商品名のふりかけである。スーパーでみつけて継続購入している。裏面には利用方法があり、納豆の薬味代わりに使えると紹介があったので、試してみた。アパート暮らしの質素で単純明快な ... » more

歴史散策―真実を求めて―爽快
爽快 最近やっと昼夜逆転の労務に慣れてきた。慣れたというか大したことをしていないから疲労感があまり感じられないからかもしれない?でも睡眠不足というのはやっぱり体調を崩す要因らしい。この状態を続けていると時折体調不良に陥る。小生の持病でもあ ... » more

歴史散策―真実を求めて―秘密
100円で中古の小説を買ってきた。とりあえず裏面にある作品紹介の短文を読んでみて購入したものだ。それが『秘密』という小説であった。終盤まで秘密の意味が分からなかったが、後半の数十ページでその意味が分かった。そうすると何とも言えない気 ... » more

武田義信の死14 曾禰虎長宛てに出された晴信(後の信玄)自筆文書についてである。平成28年(2016)年4月、地方紙「山梨日日新聞」にその記事が掲載されていた。小生は後日ネット上でこの記事を目にした。早速近所の図書館で新聞の閲覧を行ったが、他 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

武田義信の死13 曾禰縄長(そねつななが)生年未詳〜享禄4年(1531)3月16日か?となっている。これは同人物と考えられている、曾禰縄直(そねつななお)なる人物の名が記されていることによる。「王代記」という史料に、「三州縄直」という記述があり、 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

武田義信の死12 武田義信の死に関連した家臣、曾禰氏。その系譜について調べてみた。曾禰氏は武田氏の庶流である。新羅三郎義光の孫、逸見清光の七男、禅師玄尊から続く。ちなみに玄尊の兄、武田信義が武田氏嫡流。『武田氏家臣団人名辞典』から曾禰一族を見 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

武田義信の死11 平成28年(2016)4月、山梨の地方紙に「信玄直筆の文書確認」という見出しが出た。信玄自筆文書の宛先は、「曾禰掃部助」(そねかもんのすけ)。文書の内容から、曾禰虎長という人物が推定されている。この曾禰氏、元は武田家庶流(し ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

武田義信の死10 武田父子の不仲について、近年新しい史料が見出されたようだ。2014年2月に刊行された、『長篠合戦と武田勝頼』平山優著には次の様な記述がある。武田家中での紛争は、信玄と嫡男太郎義信の対立として現出した。信玄と義信父子の対立がいつ起 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

武田義信の死9 武田義信が、自らの行動を示した最後の記録がある。「甲州二宮造立帳」山梨県御坂町美和神社所蔵文書これは神社再建の奉加目録である。これは何らかの願いの成就の為に、神社の再建を誓った物なのであろうか。小生には、この古文 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

では実際この「義信謀反」・「義信事件」などと称される事象が起こるまでの経緯を詳しく見てみる。義信死後、後継の重責を負う勝頼の事績も加えてみる。武田義信は、天文7年(1538)に誕生する。父晴信、母三条夫人共に18歳と伝わる。一方 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

武田家の歴史の中で、武田義信の死はとても重要である。義信死後の武田家中には暗雲が立ち込めている。つまり身内の死が付き纏う形となる。義信の死後、北条家に嫁いでいた信玄の娘が実家に戻り病で亡くなる。義信の母、三条夫人が亡くなる。信玄自身が亡 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

武田義信についての詳しい記述がある書に、『信玄の妻』上野晴朗著があります。この書も題目の様にその主は信玄の妻でありますが、他書に比べれば義信に関わる記述の量は多大であります。武田父子の諍い・対立は様々な憶測が成されていますが、いかん ... » more

最近、人の後ろ姿を見ることに興味が出た。小生は、はっきり言うと人間が苦手である。何故か分からないが、昭和と平成という2つの時代を生きてきたが、平成は何となく落ちつきが無い。何時も急かされている雰囲気が蔓延している様に思えてならない。これ ... » more
テーマ 雑記 武田信玄

武田義信の死5 武田義信は、永禄10(1567)年10月19日にこの世を去っています。病死か?自害か?はたまた?武田義信の死の真相は定かではありません。現在、甲府市の東光寺に、武田義信の墓(供養塔)が存在しています。何を意味するのか ... » more

義信の求めに応じた父信玄は、福恵翁和尚を東光寺に向わせました。その日から、和尚は義信の病床にて法話をしました。「人生に余りが無くなったとき、もうこれで死ぬのだと悲しむ人があるが、それはおろかなことである。余りが無くなったことは無 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

武田義信の死3 新田次郎氏の作、小説『武田信玄』。武田義信は最期の時を迎えます。義信は自ら、「長禅寺の福恵翁和尚を呼んでくれ」―、と山県昌景に頼みました。義信からの依頼があったことを信玄は昌景より報告を受け、「いよいよ義信も最期が来たの ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

歴史散策―真実を求めて―格差社会
最近この言葉をよく耳にする。耳にすることにも増して、その格差の底辺に自身が存在していることも痛感する。社会が行き詰っているから、仕方のない事でもある。よくよく考えてみると、小生が幼児の頃は、今と同様に貧富の差があったように思える。しかし ... » more

武田義信の死2 新田氏の小説、『武田信玄火の巻(三)』「喜びと悲しみ」の中で武田義信の最期が語られています。信玄に謀反を起こした後、東光寺に幽閉されていた義信が風邪ひき発熱を出し寝込んだという知らせが、側近の山県昌景より知らされました。信玄 ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

房州おきの嶋 これは、『甲陽軍鑑』の「末書」に記された、「名地」の一つとされる場所です。信玄公は家臣を各地に赴かせ(使者等で訪れる)、その都度周辺域の地形を探索させていた。そして絵図面にして信玄公はその土地を吟味していた。信玄公が知っていた諸国の ... » more

為五郎の足跡(史跡編)小諸城
小諸城 武田信玄の東信州経営のために縄張りされた城で、酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城、などの別名を持ち、日本100名城の28番に選定されています。現在は、市営公園小諸城祉懐古園として整備されています。 ... » more
テーマ 城郭 武田信玄

ストレス―、と云うと、いい感じはしない。現代人にとっては負の言葉ともなっている。がしかし、このストレスは大昔、人類の先祖が天敵から身を守るために備え付けた護身術であったようだ。危険を感じると、脳から指令が出され、ストレスホルモンが体を巡 ... » more

武田義信の死 以前、山梨県立図書館にて新田次郎氏の作品を読みました。『アルバム&エッセイ武田信玄』という書です。昭和62年9月に刊行された書で、新田氏の没後の書であります。その書の中で、初出が昭和50年の記述の中に武田義信についての記述がありまし ... » more
テーマ 雑記 武田義信 武田信玄

歴史散策―真実を求めて―神宿る自然
神宿る自然 先日、雄大な富士山をまじかで見てから、増々自然が恋しくなってしまった。山梨県内では、武田氏に関する講演も県立博物館で催され、頻繁に通った。武田氏研究会の副会長に就任している平山氏の講演はとても面白かった。その前は黒田氏の講演であり共に聞 ... » more

貧乏旅―ほしのや伝承地― 貧乏旅のラスト。近日読み終えた、『『甲陽軍鑑』の史料論―武田信玄の国家構想』に詳しく記されていた。ほしのやとは?武田信玄公が新たな城下町を築こうとした場所である。場所は神奈川県座間市。地図上では谷戸山公園付近一帯のことの ... » more

武田軍の編制―その一例― 武田軍の編制。『甲陽軍鑑』にはその詳細が記されている。とは言っても、それは「末書」という別巻である。『改訂甲陽軍鑑』上中下三巻には、この「末書」は掲載されていない。後に刊行された『甲陽軍鑑大成』には全文が掲載されている。後者は、恐ら ... » more

『甲陽軍鑑』「武田法性院信玄公御代惣人数之事」を詳しくみていく。家臣団の家格や奉行・近習衆が記された後、軍の編制(寄親以下相備え)が記されている。その前に、武田軍が軍事行動を行う際、例として2万人を動員する際の編制が、「末書下巻 ... » more

『甲陽軍鑑』の「惣人数之事」には、騎馬数が記されている。騎馬数、九千百廿一騎。この騎馬数を前記の家臣団の項に記された騎馬数と照合してみた。親類衆12名1,595騎譜代家老衆17名2,485騎(累計4,080騎) ... » more

 

最終更新日: 2017/04/26 10:51

「武田信玄」のブログ関連商品

» 「武田信玄」のブログレビュー をもっと探す

「武田信玄」ブログのユーザランキング

テーマのトップに戻る