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石田三成

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テーマ「石田三成」の記事を新着順に表示しています。(8ページ目)

三成が長浜町に人夫調達を命じた須藤通光書状ですが、太田浩司氏の「近江が生んだ知将石田三成」(サンライズ出版)には、この書状について解説が加えられ、追而書(おってがき)に記されていることについて次のように記されています。「長浜町は秀吉の城 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

石田三成の実像1834「長浜城跡・城下町跡」現地見学会2 境界石碑・須藤通光書状 長浜城跡・城下町跡の現地見学会では、「大手門通り」の東の端を北に進み、大通寺の参道をさらに北上して、大通寺の山門のところに出ました。大通寺は長浜城下町の北東に位置しています。山門の前を左折して、長浜城の大手門を移築したとされる台所門に出まし ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

22日に長浜で行われた、松下浩氏による講義「信長・秀吉の近江支配」の中で、秀吉による天正19年(1591)国割について次のように説明されていました。小田原合戦後、徳川家康を関東に移封し、東海道・東山道に豊臣系大名を配置し、それまで近江に ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

22日に長浜で行われた、松下浩氏による講義「信長・秀吉の近江支配」の中で、信長と近江との関係は、「元亀騒乱」によって大きく変わり、信長の近江掌握構想は破綻したと説明されていました。その発端は、元亀元年(1570)4月、浅井氏が離反したことで ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

石田三成の実像1831 曳山祭りと羽柴秀勝の墓・ 松下浩氏の講義「信長・秀吉の近江支配」1 写真は22日、松下浩氏による講義「信長・秀吉の近江支配」が行われた長浜の曳山博物館(講義は伝承スタジオにおいてでした)の看板を撮ったものです。講義の後、太田浩司氏による「長浜城跡・城下町跡」の現地見学会がありました。これは連続講座「近江 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中の、 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)には、「左吉」から「治部少輔」に変わったのが確認できるのは、「宇野主水日記」の天正13年(1585)9月10日の記述であり、14日の条にも、秀吉の有馬湯治に従った面々の中に、「石田治部少輔」の名があるこ ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、天正12年の三成について、「小牧の陣の前半は、秀吉の陣中に近侍していたようだ」が、「10月の後半以降は、秀吉自身が北伊勢の各地を移動しており、三成は必ずしも行動を共にしていたわけではなさそうであ ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、三成が一次史料として出てくるのは天正11年のことだと記されていることは前述しましたが、1月23日付の淡路の広田蔵丞宛の書状、2月7日付の越後西雲寺宛の木村吉清・増田長盛との連署状、3月13日付の ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

石田三成の実像1826 堺めぐり5 千利休屋敷跡の記念碑・利休が暴利をむさぼっていた説への批判 写真は千利休屋敷内に建つ、利休の事績を記した石碑を6日に撮ったものです。利休切腹事件の時に、三成は京に戻っていなかったことが、白川亨氏の「真説石田三成の生涯」(新人物往来社)で指摘されています。これも以前に拙ブログで紹介したことがありま ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、昌幸と三成の相婿説が主張されていますが、昌幸と三成の結婚した年に15年程の大きな開きがあります。両方の妻とも、宇多頼忠の娘であれば、姉妹の間に大きな年齢差があります。この点を指して、笹本正治氏の「 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、真田昌幸と三成は、共に宇多頼忠の娘であり、二人は相婿説であったという説を唱えられ、宇多氏の本来の姓である尾藤氏は「信州中野郷を本貫とする」と述べられていますこの点について、白川亨氏の「石田三成と ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中の、 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中の、武 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中で、 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、真田昌幸と石田三成は、妻が共に宇多頼忠の娘であり、二人は相婿であったというかねてからの説が踏襲されています。すなわち、「頼忠の本来の苗字は『尾藤』であった。尾藤家は信州中野郷を本貫とするが、頼忠 ... » more
テーマ 大河ドラマ探訪 戦国史 石田三成

Cantabile2017年美術展
2017年美術展 美術展ぴあ2017 (ぴあMOOK)ぴあ 2016-12-31 Amazonアソシエイト by たまたまコンビニで見つけたものですが、地方の美術館、博物館の予定なども載ってるので、なかなか便利です。そんなに高くもないですし。 ... » more

中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、文治派とされる三成の姿を見直すものとして、三成が鷹マニアだったことを示す、某中納言宛の三成書状が最初に取り上げられています。この書状については、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライ ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

石田三成の実像1818 堺めぐり4「山上宗二供養塔 一会塚」・南宗寺と大徳寺からわかる利休との関係 写真は堺の南宗寺の塔頭の天慶院の前にある「山上宗二供養塔一会塚」を5日に撮ったものです。山上宗二は千利休の高弟でしたが、小田原攻めの際、秀吉によって惨殺されました。利休が切腹させられるのは、その翌年のことです。 南宗寺に千利休一門の供 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成 大阪探訪

石田三成の実像1817 堺めぐり3 「さかい利晶の杜」・秀吉が利休の娘に懸想した話の疑問点 写真は堺の千利休屋敷跡のすぐ西隣に建つ「さかい利晶(りしょう)の杜」の施設を撮ったものです。昨年オープンしたばかりで、このような建物ができているのは知りませんでした。千利休茶の湯館、与謝野晶子記念館などが中に入っていますが、今回は時間がなく ... » more
テーマ 戦国史 石田三成 大阪探訪

石田三成の実像1816 堺めぐり2 公開されている千利休屋敷跡・切腹理由についてのガイドさんの説明 写真は堺の宿院の千利休屋敷跡にある井戸を5日に撮ったものです。千利休屋敷跡に行ったのは数年ぶりのことですが、驚いたことは、敷地の中に入れ、井戸のそばまで近づけることができるようになっていたことであり、ガイドさんも待機していて、詳しい説明を受 ... » more
テーマ 石田三成 大阪探訪

石田三成の実像1815 堺めぐり1 三成と南宗寺を再建した沢庵、大仙公園の茶室、行長ゆかりの松 写真は堺の南宗寺の拝観入口(入って右に行ったところに受付があります)を5日に撮ったものです。今回は残念ながら、時間の関係で中の拝観はしませんでした。私は今までに何回も拝観しています。南宗寺は、大坂夏の陣で焼け、沢庵和尚が再建しました。沢 ... » more
テーマ 石田三成 大阪探訪

白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中で、昨 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中で、 ... » more
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白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中で、 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中で、 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「豊臣公儀としての石田・毛利連合政権」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号)の中で、阿部哲人氏の指摘などをもとにして、「西国を二大老・四奉行がまず掌握して、東国は大老の上杉景勝が掌握する、という豊臣公儀(石田・毛利連合政権) ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

コメントありがとうございます♪その1 文字制限などがちょっと面倒なので、こちらで返信させていただきますね。ごんさん、いつもコメントありがとうがざいます♪三成と加賀征伐については、自分も詳しいわけではないので、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」第九章をお読みいた ... » more

司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」(新潮文庫)では、三成の相手として初芽が出てきて、二人の関係も小説の重要な軸となっています。それはよいのですが、三成の妻子は登場しておらず、その点に不満を覚えます。映画「関ヶ原」でも、原作通り、妻子は登場しないの ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」(新潮文庫)」の問題点の第五として、関ヶ原の戦いの経緯について取り上げ、その一つとして島津隊は三成に対する遺恨から戦いに加わらなかったと描かれているおかしさについて触れました。島津隊は動かなかったのではなく ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

 

最終更新日: 2017/09/19 10:57

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