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石田三成

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テーマ「石田三成」の記事を新着順に表示しています。(2ページ目)

白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、大津城攻めについて、9月9日条 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

NHKの番組「ブラタモリ」の「高野山と空海」の中で、高野山にある石田三成の墓の映像もほんの一瞬だけ紹介されましたが、残念ながらナレーションは入っていませんでした。この墓は、三成自身が天正18年(1590)に建てたもので、逆修墓と云います。こ ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原大名の中でなぜ大谷吉継だけが死んだのか?」の中で、「石田軍記」に三成の家は貧しかったので、近くの寺に小姓として入れたと記されているものの、観音寺の林昭一住職が、行儀見習いや学問 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、琉球との交渉や朝鮮半島への渡海準備もままならない島津家に対して、三成が家臣の安宅秀安を薩摩に派遣したと記されていることを前述しました。このことに関して、「安宅秀安は、4月3日に肥後水俣を経て、 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原大名の中でなぜ大谷吉継だけが死んだのか?」の中で、三成の事績が紹介された中で、朝鮮の役のことが取り上げられていました。番組では、秀吉の代わりに朝鮮半島に渡っ三成らは、前線を ... » more
テーマ 戦国史 石田三成  コメント(2)

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原大名の中でなぜ大谷吉継だけが死んだのか?」の中で、秀秋が開戦時に松尾山の山頂にいたという通説について、白峰旬氏は次のように反論されていました。「一次史料には開戦時松尾山の山 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原大名の中でなぜ大谷吉継だけが死んだのか?」の中で、白峰旬氏の新説が大きく取り上げられていました。もっとも、関ヶ原の戦いに至るまでの経過も割と長く紹介され、三成や吉継の出自や朝鮮 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原黒田如水・長政の野望」で、桐野作人氏は、九州の関ヶ原の本質については、「如水は東西両軍とも違う第三勢力を構築しようと思っていたのではないか。これは家康とも毛利輝元とも仲良くしつ ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原黒田如水・長政の野望」で、江上・八院の戦いに負け、進退窮まった立花は柳川城に籠城し、さらにそこに攻め手として清正と如水の兵が加わり、立花の命運が付きかけたが、立花は作戦を講じて ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原黒田如水・長政の野望」で、関ヶ原の戦いの後の、九州での戦いについて取り上げられていました。大坂城から毛利輝元を退去させた家康は、西軍についた大名の討伐を開始し、九州の大名で ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原黒田如水・長政の野望」で、黒田如水が関ヶ原の戦いの際、九州で活発な動きに出ていたことが述べられていました。中西豪氏はこの点について、関ヶ原の戦いを好機にして、如水は、黒田家 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原黒田如水・長政の野望」で、黒田長政の調略は、吉川広家に対してだけでなく、小早川秀秋に対しても行われたと述べられていました。番組では、8月28日付で秀秋に宛てた長政書状の中に ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組「片岡愛之助の解明!歴史捜査それぞれの関ヶ原黒田如水・長政の野望」で、白峰旬氏、桐野作人氏が出演されていました。まず白峰氏は、関ヶ原の戦いにおいて、家康方も三成方も豊臣公儀だったという従来の捉え方に異議を唱えられてい ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された番組 「諸説あり!『関ヶ原の戦い』の真実」では、首謀者が三成ではないとしたら、一体誰かということに対して、乃至政彦氏は西軍の首謀者不在説を主張されていました。三成が重要な人物として活躍したことは間違いないけれども、主導してい ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された「諸説あり!『関ヶ原の戦い』の真実」の中で、「西軍の首謀者は石田三成ではなかった」という高橋陽介氏の見解ですが、三成が佐和山で吉継を説得したという説について、頼む側と頼まれる側が逆であったのではないかというだったと指摘されて ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された「諸説あり!『関ヶ原の戦い』の真実」の中で、「西軍の首謀者は石田三成ではなかった」という高橋陽介氏の見解が紹介し、ご本人も出演されていました。その根拠の一つ目として、家康弾劾状である「内府ちかひの条々」に増田長盛・長束正 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された「諸説あり!『関ヶ原の戦い』の真実」で、関ヶ原の戦いに関する白峰旬氏の新説として「主戦場は関ヶ原ではなく、戦いは2時間で終わった」ということが述べられていましが、その根拠の3つ目として、明治26年に参謀本部が作成した「日本戦 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

BSで放送された「諸説あり!『関ヶ原の戦い』の真実」で、関ヶ原の戦いに関する新説として、本郷和人氏、白峰旬氏、高橋陽介氏の見解が紹介されていました。本郷氏の新説は、「小早川秀秋は裏切り者ではなかった」というもので、関ヶ原の戦い前後の状況 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

「歴史群像10月号」(学研)の白峰旬氏「関ヶ原合戦の真実」の中で、主戦場は関ヶ原ではなく、山中だったとする見解が示されています。しかし、この見解に対して、当時の人々は「山中」も「関ヶ原」も区別せず同じように捉えていたのではないかという意見を ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

歴史群像10月号」(学研)の白峰旬氏「関ヶ原合戦の真実」の中で、石田方本隊が短時間のうちに敗れた理由について、次のように記されています。「石田方本隊の大垣からの転進と山中布陣の目的が、南宮山の毛利勢と連携して家康方を挟撃する態勢を取るこ ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

「歴史群像10月号」(学研)の白峰旬氏「関ヶ原合戦の真実」の中で、三成方本隊が大垣城を出て山中へ移動したことについて、「大垣城への後詰である南宮山の毛利勢への後詰ということになり、換言すれば『二重の後詰』ということになる。翌15日に予想され ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「関ヶ原合戦の真実」(「歴史群像10月号」【学研】所載)の中で、家康の当初の作戦計画について、毛利勢が南宮山に陣取ったことで、家康本隊が南宮山の後詰軍を攻撃する作戦に出ようとしたことが指摘されています。それに対して、「家康との ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「関ヶ原合戦の真実」(「歴史群像10月号」【学研】所載)の中で、家康の当初の作戦について、9月26日頃に書かれたと推定される伊達政宗書状と、家康の側近である村越直吉と今井宗薫に宛てた政宗の返書に書かれている内容が取り上げられていま ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏から「歴史群像10月号」(学研)をご恵贈賜りました。この場を借りてお礼申し上げます。この本の中に、白峰氏のご論考「関ヶ原合戦の真実」が掲載されています。この論考は、今までのご著書「新『関ヶ原合戦』論」(新人物ブックス)、「新解釈 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、丹後田辺城攻めについて、拙ブロ ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、三成が名護屋へ着陣したことを示すものとして、相良頼房充て書状が取り上げられていましたが、それに添えられた三成の家臣である駒井権五郎の副状の内容も紹介されています。「御挨拶として、三成(治部少 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、三成が「唐入り」のために、天正20年(1592)2月20日に大谷吉継と共に京を発足したことが記されています。その典拠は、「言経卿記」が挙げられています。それまでの三成について、「正月28日の前田玄 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

中野等氏「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、唐入りに関して、三成と島津家との関わりについて述べられていますが、その続きです。「天正20(=文禄元)年正月21日付で、三成は細川忠興とともに、島津義久・義弘充てに連署状を発し、出水島津家の処 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、大津城攻めについて、9月7日条 ... » more
テーマ 戦国史 石田三成

旅行記114 石田三成の実像2019 九州の三成ゆかりの地巡り19 舞鶴城跡 写真は霧島市国分の城山公園の展望台からの眺めを8月1日に撮ったものです。正面の向こうの方に鹿児島空港があります。向かって右側あたりが、かつて三成領であった国分清水だと思われます。国分城山公園は国分郷土館を少し上がった、頂上のところにあ ... » more
テーマ 旅行記 戦国史 石田三成

 

最終更新日: 2017/11/01 10:39

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