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豊臣秀吉

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テーマ「豊臣秀吉」の記事を新着順に表示しています。(2ページ目)

日本史の「逆転」03 秀吉のシックス・センス 映画「シックス・センス」には、普通の人間にはない特殊な能力を持った少年が登場しています。日本史だって負けてはいられませんので、時折そんな超能力者?もどきの人物を登場させていますが、多分、豊臣秀吉(1537-1598年)もその ... » more

鳴虎で有名な報恩寺へ 「第48回 京都非公開文化財特別公開」で初公開された鳴虎報恩寺に行ってきました。ここの目玉は、「鳴虎図」と「厨子入千躰地蔵菩薩像」でしょう。公開が決まってからは、是非訪れたいと思いました。報恩寺は室町時代に開祖され、1501年(文亀 ... » more
テーマ 豊臣秀吉 京都非公開文化財特別公開 報恩寺

日本史の「トホホ」01 小幡城の消滅マジック 「小牧・長久手の戦い」(1584年)は、信長が「本能寺の変」(1582年)で倒れたあとの「後継者決定戦?」の意味合いをもった秀吉軍VS家康軍の唯一の直接対決であり、その意味では両者ともに決して負けることのできない戦いでした。 ... » more
テーマ 徳川家康 小牧長久手 豊臣秀吉

日本史の「謎解き」07 塀の上を歩いた茶人 現代ですと「茶人」という言葉から文化人・芸術家を連想する人も少なくないと思いますが、でも千利休が生きていた頃にはそのようには見られていなかった気がするのです。なぜ?それは利休が「切腹」させられているからです。利休(152 ... » more

日本史の「お国自慢」02 尾張系日本人の体験 昔からよく指摘されることですが、名古屋の人間はお世辞込みで言うなら「保守的」、お世辞抜きなら「閉鎖的」な一面を持っているそうです。もし仮にその通りだとしたら、その背景にある涙なしでは語れない尾張系日本人?の「歴史体験」にもぜひ注 ... » more
テーマ 織田信長 徳川宗春 豊臣秀吉  コメント(1)

豊臣秀次の墓所 瑞泉寺へ 木屋町通り二条の島津製作所創業資料記念館を紹介しましたが、その木屋町通りを三条まで下がると高瀬川沿いにある古刹が瑞泉寺です。ちなみに、瑞泉寺は、三条大橋西詰めにあたりますが、先日アップした、檀王法林寺は、東詰めにあたります。 ... » more
テーマ 瑞泉寺 豊臣秀次 豊臣秀吉  コメント(4) トラックバック(1)

三成 「いきなり、良いアイデアを出せ、と言われましても・・・」秀吉 「やっぱり、箔を付けておかんことには迫力に欠けるゾ」天下を取った秀吉に一番欠けていたもの、それは「正当性」、平たく言えば「有資格」だった。つい最近まで下層出身者 ... » more

北野天満宮 もみじ苑へ 今日は、北野天満宮の近くまで来ましたので、最後の紅葉を見に「もみじ苑」へ行ってきました。学問の神様で有名な北野天満宮。私も受験の前にお世話になりました。その北野天満宮の境内の西側に、豊臣秀吉が1591年(天正1 ... » more

ヤジ馬の日本史〜木太刀と無念腹〜
これも地元・愛知県でのお話である。知多半島の割合先端に近い地域の伊勢湾側に面した場所に 野間 も 内海 もある。生きた時代は異なるが、源義朝と織田信孝の二人の武将がこの地で生涯を終えている。二人の「死」は決して穏やかとは ... » more
テーマ 織田信孝 源義朝 豊臣秀吉

円山・高台寺界隈を散策 今朝早く、日中の猛暑を避け大谷さんへ墓参りに行きました。大谷祖廟では、早朝でしたが多くの家族連れが墓参りに訪れていました。その大谷祖廟から少し南に下ったところに、豊臣秀吉の正室「おね(ねね)」の菩提所、高台寺があります。現在 ... » more
テーマ 高台寺 豊臣秀吉 北の政所  コメント(6)

ヤジ馬の日本史〜太陽のコレクター〜
これほど「太陽」にこだわりを持つ民族もそう多くないのではないだろうか。まず、国の名前からして、「日本(日の本)」。太陽のことである。国のシンボルである国旗が、「日の丸」。これも太陽である。国中で一番エラい神様が、「天照大神( ... » more

戦国時代の歴史に興味がある人は60%! トレンダーズ株式会社が20〜59歳の男女500名に実施した調査によると、「戦国武将」に興味がある人が上記のように60%になるそうです。確かにテレビでも戦国武将や歴女などをよく取り上げている。自分の周りには戦国武将が好きな ... » more

豊国神社(とよくにじんじゃ)へ 4月13日と14日の昼休み、方広寺を見たくて、ここまでやってきましたが、方広寺だけではもったいないので、隣接の豊国神社にも寄りました。大和大路通り沿いにある石碑豊国神社(とよくにじんじゃ)と読みますが、「ほうこくさん」と ... » more

幻の大仏殿跡・方広寺を訪ねて 4月13日の昼休みに、前々から気になっていた大仏殿跡が残る方広寺に行ってきました。この日も朝から晴天で、暑いぐらいの気候でしたが、大和大路を下っていき豊国神社の大鳥居手前の道を東に入れると本堂や有名な梵鐘が見えてきます。方広 ... » more

織田信長の菩提寺 大徳寺 総見院へ 臨済宗大徳寺派塔頭寺院総見院1582年(天正10)10月、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が中心となって織田信長の葬儀が大徳寺で行われた。翌年の1583年(天正11)羽柴秀吉(豊臣秀吉)が織田信長の菩提を弔うため、千利休の師にあたる古渓宗陳 ... » more

中国東北地方の遼寧省の瀋陽(満州時代の奉天)を訪問するのは実に14年ぶりである。前回は北京から寝台列車に揺られて行ったが、今回は和諧号(わかいごう、中国版新幹線)に乗り4時間余りで着いた。最高時速は247キロを記録していた。筆者の瀋陽に ... » more
テーマ 満州族 ヌルハチ 豊臣秀吉  コメント(1)

仮に「光秀の軍勢が本能寺に着く前に信長は秀吉の手の者に殺されていた」とすると光秀の軍勢のとった行動に説明は付くでしょうか?それでもやはり、説明は付きません。信長討ちの命令を受けていない光秀の軍勢が本能寺に到着し ... » more
テーマ 明智光秀 豊臣秀吉 427年目からの挑戦  トラックバック(2)

「信長殺し、光秀です!」とは、何を今さら、と言われそうですが、実は通説(怨恨説・野望説)に代わるものとして唱えられている新説はことごとく「信長殺し、光秀ではない」と言っているのです。もちろん、実行犯は光秀とした上で ... » more
テーマ 明智光秀 豊臣秀吉 427年目からの挑戦  コメント(2) トラックバック(1)

最近、拙著『本能寺の変四二七年目の真実』の読者お二人から立て続けに手紙をいただきました。その内容がどういうわけか同じ主張で「信長殺しの犯人は光秀ではない、真犯人は秀吉だ!」というものでした。私の本を読んでも何で ... » more
テーマ 明智光秀 豊臣秀吉 427年目からの挑戦  コメント(1) トラックバック(2)

秀吉の中国大返し(完)。秀吉はこうして準備した! 本能寺の変歴史捜査レポート第二話「中国大返しのプロセス(その4)」→その3はこちら秀吉は『惟任退治記』を使って、何故備中高松の出発日を6月4日ではなく6月6日未(ひつじ)の刻(※1:午後2時頃)にずらしたのでしょ ... » more
テーマ 歴史捜査レポート 明智光秀 豊臣秀吉  コメント(1) トラックバック(1)

本能寺の変歴史捜査レポート第二話「中国大返しのプロセス(その3)」→その2はこちら『惟任退治記』に書かれていて、現代の通説・定説になってしまっている秀吉の中国大返しの行程には無理があることは前回書いた通りです。台 ... » more
テーマ 歴史捜査レポート 明智光秀 豊臣秀吉  コメント(1) トラックバック(2)

秀吉の中国大返しは無理!台風の中を70キロも行軍できますか?! 本能寺の変歴史捜査レポート第二話「中国大返しのプロセス(その2)」→その1はこちら秀吉の中国大返しの日程は果たしてどのようなものでしょうか?秀吉は6月4日に毛利氏と和睦を結んでいます。それが急なものであれば、 ... » more
テーマ 歴史捜査レポート 明智光秀 豊臣秀吉  トラックバック(1)

秀吉の「中国大返し」を捜査します! 本能寺の変歴史捜査レポート第二話「中国大返しのプロセス(その1)」光秀の謀反は歴史研究家の方々がこぞって「無謀」という評価をしていますが、そうではなく極めて周到に準備されたものであったことは拙著『本能寺の変四二七 ... » more
テーマ 歴史捜査レポート 明智光秀 豊臣秀吉  コメント(3) トラックバック(1)

直木賞受賞作『天正女合戦』は海音寺潮五郎さんの初期の代表作です。この作品は千利休を芸術界の英雄ととらえ、天下人・豊臣秀吉と対比して描く独創的な構成となっています。その後の作品『茶道太閤記』でも、海音寺さんは「秀吉対利休」の構図を継承していま ... » more

本能寺の変・明智光秀研究の疑惑 :歴史研究の方向を狂われた高柳氏『明智光秀』 高柳光寿氏の書いた『明智光秀』(1958年)が今日の歴史学界の定説を作ってしまったこと、そして、その定説のもととなった高柳氏の論拠は実は極めて脆弱なものであったことを述べてきました。そのようなものに歴史学界は半世紀に渡っ ... » more
テーマ 明智光秀 豊臣秀吉 427年目からの挑戦  コメント(2)

本能寺の変・明智光秀研究の疑惑:現代歴史研究の闇 本能寺の変の真実を解明して『本能寺の変四二七年目の真実』を書上げました。いろいろお褒めの言葉をいただきましたが、圧倒的に多いのは「目から鱗が落ちた、今までの歴史知識何だったのか、歴史認識が根底から覆った」ということです。 ... » more
テーマ 明智光秀 豊臣秀吉 427年目からの挑戦  コメント(2)

長宗我部元親暗殺の陰謀(続き):重要証人たちの不審な死(4) 長宗我部元親暗殺の陰謀:重要証人たちの不審な死(2)を書いたあとに気になって少し捜査してみました。その結果、どうやら豊後(ぶんご)戸次(へつぎ)川の戦いは長宗我部氏を陥れるために秀吉が仙石秀久に命じた疑惑が深まりました。 ... » more
テーマ 歴史 豊臣秀吉 427年目からの挑戦

本能寺の変から18年後、慶長5年(1600)7月、関が原の戦いの直前に三河池鯉鮒(ちりふ)(現在の愛知県知立)で奇怪な事件がおきました。秀吉の家臣だった堀尾吉晴が任地の越前府中に向かう途中、水野忠重、加賀井重望(かがのい ... » more
テーマ 徳川家康 豊臣秀吉 427年目からの挑戦

私の本を読んだ方なら、筒井順慶と同様に、あるいはそれ以上に長宗我部元親が重要な機密情報を持っていたことはご存知でしょう。筒井順慶や羽柴秀勝を消した秀吉が次に狙うとしたら、長宗我部元親でしょう。現実にそれが起きたのです ... » more
テーマ 歴史 豊臣秀吉 427年目からの挑戦

架蔵短冊名品撰 その10 豊臣秀保 豊臣秀保(1579〜1595)は豊臣秀吉の甥。秀吉の姉日秀の三男でのちに秀吉の弟大和大納言秀長(ひでなが)の養子となった。悪逆非道な暴君としての逸話が多く残るのだが、どこまで史実であったのかは明らかではない。文禄4年大和十津川にて変死。 ... » more

 

最終更新日: 2016/11/30 15:15

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