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武士道

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テーマ「武士道」の記事を新着順に表示しています。(1ページ目)

性器やプライベート・ゾーンへの破廉恥な拷問・刑罰は日本やソ連だけでない。私は中学生時代に『007は二度死ぬ』(1964年、世界ミステリシリーズ版)を読み、ゾッとした記憶がある。それは強烈で、すっかり忘れるほど意識下に抑え込まれていても、 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

中川の美化に注意しなければんらない。彼が指揮した小林への拷問・虐殺は余りも残虐であった。それは、遺体を直接検死した医師の安田徳太郎やそれを目撃した者により伝えられている。具体的には、必要な者が厳粛に覚悟して読むべきであり、ここでは以下の文献 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

中川のライフ・ストーリーについて、松本克平は次のように述べている*4。プロレタリア芸術陣営から見た敵側のスターは何といっても蘆田辰治郎と中川成夫である。我々プロット員は殆ど全部が築地署の特高刑事であった蘆田に引っぱられてブチ込まれ、 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

1.エリクソンによるフロイトの継承・発展エリクソンはマルクスとフロイトの統合により社会的外的な抑圧と心理的内的な抑圧からの二重の解放を目指したフランクフルト学派と時代を同じくした。ユダヤ系のためナチス・ドイツの迫害を逃れてアメリカへ亡命 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

伊那修太のブログ前川さん、立派!!
前川さん、立派!! 6月24日(土)昨日の前川前事務次官の記者会見の全てをYouTubeで聞いた。こんな志のある役人がまだいたんだ。本当の意味での武士道精神。憲法の前文「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、(その権威は国民に由来し、その権力 ... » more
テーマ 前川前事務次官 武士道 知る権利

小ブログ「東大教育学の思想と実践−三木清の生と死−ソクラテス、また武士道のような−」の展開である。羽仁は、三木の「沈黙の生活が最も充実した生活である」、「将来には世間で普通に考えない特殊な運命が私を待っているように思う」を取り上げ、 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

羽仁の「哲学者の獄死」に拠れば、娘・洋子は父が「上京」したと受けとめていた。官憲は私服で召喚し、三木は心配をかけさせないように「上京」するとだけ伝えたのであろう。それは二七日で、逮捕は二八日(全集第十九巻の「年譜」)であることから、二 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育  コメント(1)

高倉テルは三木の逮捕では、極めて重要な役割を演じた。しかし、そこには彼の「逃亡」を含めて疑惑が満ちている。高倉自身は「三月十二日、取り調べ中に、取り調べ官、用事で、ほんのちょっと座をはずしたのを見て、わたしは警視庁の正門から脱走した」と ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

三木は「真理の勇気(Der Mut der Wahrheit)」を以て同時代と格闘した。彼は以下のように「真理の勇気」を繰り返し提起した。@「真の懐疑は柔弱ではなくて剛健な心、自分自身をも否定して恐れない心、ヘーゲルの言葉を用いるならば ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

羽仁は「京大を去る三木」の表題で、次のように述べている。日本の思想はなかなか思想自身の足の上に立つことができないでいた。「しかし、いまや、日本の人民の思想は成長し、独立し、批判的となることができた。われわれはあの久しく支配してきた天 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

三木が「死について」で述べた「死」と「真に愛するもの」に関して、この執筆・発表が一九三八年で、二年前、三六年八月に喜美子が死去し、翌三九年十一月に糸子と再婚したことから、喜美子が念頭に置かれていたといえる。ただし、三木は喜美子も、そして ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

注意すべきは、中西は獄死した二六日の「真夜中」に「高級警察官」が来たと記した点である。羽仁は「病状書が検事局に提出されたのは死の前日二十五日であったらしく、保釈の手続きがとられたのは死の当日の二十六日であったらしい」と記している*3。 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

羽仁は「京大を去る三木」の表題で、次のように述べている。日本の思想はなかなか思想自身の足の上に立つことができないでいた。「しかし、いまや、日本の人民の思想は成長し、独立し、批判的となることができた。われわれはあの久しく支配してきた天 ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

羽仁は続ける(前掲「哲学者の獄死」より)。三木清とぼくがはじめて会ったのは、 一九二二年(大正十一年)六月、 ハイデルベルクは初夏であった。彼と最後にわかれたのは、 一九四五年(昭和二十年)六月、東京の警視庁の地下の留置場、陽もささ ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育  コメント(1)

三木の盟友と言える羽仁五郎は「哲学者の獄死」で三木の生と死を総括した*3。冒頭「“私には特殊な運命が待っている”」の項は、次のように書き出されている。みちのくの夏草ながし草ながし、うてどもうてども夏草ながし。三本清がある日そ ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

三木の検挙から獄死までの過程を考察する。彼は「埼玉の農家のはなれの蚕室の二階」に疎開していたが、逃亡したとされる高倉テル*1を匿ったことを罪状にされ、一九四五年「三月二十七日、岩波さんの貴族院選挙の日、上京したきり」*2帰宅しなかった。 ... » more

八月一五日で戦争と軍国主義は終わったが、まだ全体主義は続いていた。中西は「昭和二十年九月のはじめ、巣鴨拘置所に収容されていた数百名の未決囚の大移動がおこなわれた」、「編笠、手錠、腰縄で数珠つなぎにされた数百名の囚人が行進する」という「異様な ... » more

昨日のブログの後半を以下のように加筆修正した。・・・サルトルは、一九六四年のノーベル文学賞受賞を拒否したことで知られているが、しかし、辞退を表明するサルトルの書簡は、ノーベル委員会で最有力候補に挙げられてから一カ月近く経過した後に到 ... » more

三木が戦後マルクス主義的党派に利用されたかどうか考える上で、フランスの知識人、ジャン−ポール・サルトルは参考になる。彼はマルクス主義者ではないが、マルクス主義にとって重要な役割を果たした。特に“マルクス主義は乗り越えられない”との言説は“あ ... » more

歴史に「もし」はなく、史実に基づいて研究すべきことは理解する。ただし、これは基本で、謂わば入門レベルである。初級から中級、上級レベルに行けば、様々な可能性を検討した上で、最終的に史実となった歴史のダイナミクスにアプローチしなければならない。 ... » more

父の口癖に「狐と狸のばかしあいだ」があった。テレビで政争などが放送されると、よく口にした。そこにはニヒリズム的なところがあったと言える。文字通り必死の覚悟の特攻隊、水戸教導航空通信師団事件、戦後の激変、公職追放などの経験から当然である。 ... » more

父の遺品を整理した。アルバムがいくつかあり、その中に戦友会の旅行と思われる写真があった。その一つ父と航空機の写真に驚いた。衝撃を受けた程であった。父がとても明るい笑顔になっていたからであった。そのような父は見たことがなかった。いつも ... » more

父は、夜中に時折、寝ていて突如ものすごいうなり声をあげていた。寝ていた私も母も起こされるほどであった。「どうしたんだろうね」と顔を見あわせるが、訳が分からず、苦しくてうなされているようではなかったので、そのまま再び眠った。今になって考えると ... » more

家庭−特攻隊の父がつけた「正行(まさゆき/まさつら)」という名−1.私の名前は「正行」と書き、「まさゆき」と読むが、父は「まさつら」とも読むと言った。子供の頃で意味は分からなかったが、学校で習う読み方ではないので忘れなかった。後 ... » more

体制の中枢では一九四三年末に戦争収拾が模索されていた。軍部の中枢は、私は不詳だが、末端では四五年三月に現れていた。東大文学部の助手で海軍技術研究所嘱託も務めていた日高は、次のように述べている*1。「最初私は、『国民の戦意高揚の方策』とい ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

三木の獄死は国際関係のパワー・ポリティクスを踏まえて考えるべきである。それだけの力量を、三木は持っていた。ポツダム宣言受諾の一年以上も前から、体制は戦争収拾、戦後処理を本格的に考えていた。一九四三年一二月一日にカイロ宣言が発表された ... » more
テーマ 人間的強さ 武士道 平和教育

4.公安警察の上層部が「巧妙にしくんだ殺人」を犯したとしても(少なくとも未必の故意)、その決定の過程で、三木が如何に危険かと教唆する者がいなくてはならない。公安警察は哲学・思想の専門家ではないからである。この点で、御用学者が問われる ... » more

2.先述の「巧妙にしくんだ殺人」について、暴政の中枢が計画、実行した可能性について考える。その理由は、三木の力量が極めて大きく、従って危険性も重大であったことが挙げられる。彼が出獄し、その力量を発揮すれば日本の民主化は大いに進んだで ... » more

『平和教育の思想と実践』で三木清〜宮原誠一について論じた。以下は、その発展である。1.日高六郎は三木清の獄死について「日本は、戦後、おそらくもっとも重要な思想的な仕事をしたであろうひとりの思想家を失った……。」と述べている*1。 ... » more

7.日本で生成した「民主」の再認識−「和」と「原民主」−「民主」に関しても、この訳語が使われる以前から、日本では民主的な精神が生成していた。貴族院における憲法改正の審議において、南原繁は「日本ハ昔カラ、或ハ言葉ハ兎ニ角ト致シマシ ... » more
テーマ 社会教育 人間的強さ 武士道

 

最終更新日: 2017/07/23 16:47

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