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礼拝メッセージ

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テーマ「礼拝メッセージ」の記事を新着順に表示しています。(2ページ目)

群衆が押し寄せた時、主イエスは「目を上げて」(6:5)、「羊飼いのいない羊」のような群衆を深く憐れみ(マルコ6:34)、ピリポを試して言われた。「どこからパンを買って来てこの人々に食べさせようか」。弟子たちは連日押し寄せる人々で休む暇もなか ... » more

このタラントの譬えはキリストの再臨まで、或いは、神の御国に入るその日まで、この地上でただ待つのではなく、神のために働くことを教えている。それは伝道だけを指すのではない。神と人に仕えるという総合的な働く姿で、その中に伝道も含まれている。一 ... » more

民数記はイスラエル民族の40年に及ぶ荒野の放浪記です。その名は、二度にわたって民の数を数えた出来事から付いた。この調査は単に民族として勢いを調べるためではない。各々がヤコブの息子に遡る自分の血筋を明らかにし、神に選ばれた聖なる民の一員である ... » more

「行かなければならない」(v4)。この言葉に一人のサマリヤの女のために近づき、働かれた主の愛と熱心が滲み出ている。主はあなたのために日毎あなたに近づき、みことばの井戸に腰掛けてあなたを待っておられる。主はこの女性に、決して渇くことがない ... » more

パリサイ人らは律法を破らないことに熱心なあまり、律法の本質を見失っていました。私たちも信仰生活の態度や組織の見かけばかりに囚われると本質を見失い、生き生きとした喜びが失われてしまいます。だから、主イエスは「大切な戒めは何か」との問いに、 ... » more

食事は趣味やスポーツとは違い、全く止めてしまったり、してもしなくてもいいものではない。私たちの人生を支え、命に関わるものです。聖書はその食事を囲む行為を神との豊かな交わりの象徴としている(詩篇23篇、黙示録3・20、聖餐式の教え等)。また、 ... » more

主イエスはベタニヤのマルタ、マリヤ、ラザロの兄弟が住む家庭に安らぎを見出された。同様に主はあなたの家庭(生活)を休息の場とされる。つまり、あなたの人生を神の平安の満ちる所にしたいと願われる。それは主があなたを愛しておられるから(ヨハネ11・ ... » more

主イエスはペテロの信仰告白を受け、はじめて弟子たちにご自身の十字架の苦しみと復活を明かされた。そして弟子たちに「自分を捨て、自分の十字架を負い、わたしについて来なさい」(16:24)と。六日後、主はペテロら三人を連れて山に登る。そして、白く ... » more

日本語の『教会』という呼び名は、本来の意味を十分表していない。「使徒信条」が記す教会の姿は、教えや学びではなく「聖徒の交わり」です。教会は聖徒の交わりを通じて福音を宣べ伝え、聖礼典を正しく執り行うところ。そして「聖徒の交わり」を成立させてい ... » more

ヨハネの黙示録には七つの教会がある。これは全世界の教会を代表し、クリスチャンの姿を現している。エペソ教会は行い、労苦、忍耐、正義、偽りを見抜く霊的判断や識別力、神の御心をわきまえ、世俗化を見抜く力に優れ、神から褒められた。だが霊的判断力 ... » more

新しい年を迎えるにあたり、人は誰でも幸多き一年であるようにと願う。だが、それは同時に、踏み出す歩みの先に、確かなものが何一つないことの告白でもある。だから私たちは謙って唯一確かなもの、主の御言葉に耳を傾けることから、一年を始める。主は人 ... » more

クリスマスの場面には大勢の人物が登場する。だがその中心はみどり子イエスです。このイエスに出会った者は博士も羊飼いも、そして私たちも皆、礼拝者となる。その出会いが「すばらしい喜び」だから、神をあがめ、賛美せずにはおれないからです。喜びの理 ... » more

ここには二人の王が登場する。一人は人民に重税を課して豪奢な暮らしを楽しみ、王位を脅かす者は我が子でも手にかける残忍なユダヤの王ヘロデ。もう一人は古から王の王、全世界の救い主と預言され、人知れずひっそりと馬小屋で産声をあげた幼子イエス。聖書は ... » more

カトリックで聖母として崇められるマリヤ。だが聖書は彼女について多くを記していない。彼女の血筋、家柄は不明で、わずかにエリサベツの親戚とある程度(36節)。ほかはナザレに住み、ヨセフの婚約者で処女。身分が低い(いやしい)という自らの告白だけ。 ... » more

「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」とイザヤを通して神は語られた。この時、まだ実現していなかったが、神は逆らい続けるイスラエルの民を(数え方は数説あるが)70年に及ぶバビロン捕囚という形で懲らしめ、その後、もう一度彼らを回復なさることを約束され ... » more

「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」のみことば通り、キリスト教の鍵は「キリスト」です。そのキリストが地上に来られたご目的は、救いを成し遂げるためであり、救いの御業はキリストの十字架と復活にかかっていました。だから ... » more

主イエスを食事に招いたパリサイ人シモンは、街でも評判のふしだらな女の一挙手一投足をじっと見ていた。自分の家に勝手に上がり込み、客人の足元で泣くに泣き、その涙で足を洗って自分の髪で拭う。さらにその足に口づけし、持ってきた香油を注ぐ。「さて、こ ... » more

死は突然の来訪者です。私たちを独りにし、地上で築いた一切を持たせず、ただこの世を歩んで汚れ果てた魂一つで、聖い神の御前に立たせます。そして、誰にでもやって来ます。だから、「神の人」と称えられたモーセの死から、どう歩むべきかを学びましょう。 ... » more

嵐とはコントロールが難しい状況です。私たちは怒り、悲しみ、恐れの嵐に遭遇する。だが主イエスは「向こう岸へ行こう」と言われる。嵐に襲われても、主にあって安息を失わない更なる信仰の高嶺へと私たちを導いておられます。主イエスの12弟子の中には ... » more

ヘロデの建てた当時のエルサレム神殿は、その荘厳さから世界七不思議とまで言われた。だが、その門前には生まれながら足が不自由で物乞いする男が…。如何に優れた知恵と芸術の結集をもってしても、一人の人を立ち上がらせ、自らの力で歩ませることは出来ない ... » more

5世紀に活躍した神学者・哲学者・教父アウグスティヌスは、「人は幸福を求めながら、幸福が何であるかを知らない」と言う。主イエスはここで弟子たちを見つめながら(ルカ6:20)、幸せとは何かを語られた。ここに主が抱いておられるクリスチャン像がある ... » more

裁判において死刑判決が出た場合、執行まで数週間の猶予がある。だが、主イエスの十字架刑は違っていた。当時のローマ法では十日間猶予があるが、判決当日に執行された。また、苦しみを少しでも多く長く与えるため、十字架を背負ってゴルゴタまで歩かされ、手 ... » more

エルサレムを滅ぼし、イスラエルを捕囚とした大国バビロンは、豊穣の神ベルと文明の神ネボが自分たちに力と繁栄がもたらしていると考えた。だが、神は言われる。やがてバビロンは滅び、その偶像が彼らの重荷となる。生ける真の神に背を向けた現代も同じで ... » more

主イエスは「弟子たちを呼び寄せた」。私たちも主の弟子として呼び集められた存在です。「教会」と訳された原語の意味は「神に召し集められた者たち」です。「弟子」とは学ぶ者。生徒は学ぶために一時だけ師と共にいる。だが弟子は常に師のそばにいて学び ... » more

その日、エルサレムは祭りで賑わっていた。だが、ベテスダ池のそばで横たわる病人にとって、それは別世界のことです。彼らはその日も癒しの奇跡を求め、じっと水面を見ていた。そこに主イエスが来られた。大勢の病人がいる中、向かわれたのは誰からも見放 ... » more

「わたしの心だ。きよくなれ」。主イエスがそう言われたのは全身ツァラアトに冒された人を癒すこの場面だけです。ここから私たちは主の心を知ることができます。第一に、主の心は「憐れみ」に満ちていた(マルコ1:41)。この男は愛する家族と生涯会え ... » more

創造主なる神は聖書を通して、ご自身の人間に対する愛を伝え、人の歩みを教え導かれる。だから聖書に登場する時代や民族は違っても、そこには今を生きる私たちの姿が映し出され、私たちのどんな必要にも応える。当時のイスラエル社会にも悪人が栄え、正し ... » more

自分と出会うには道具が要る。鏡を通して自分の姿に気づくように、ペテロは失意の経験を通して人生の虚しさを知った。「夜通し働いたが、何一つとれなかった。」これは私たちの人生を言い表わした言葉です。どんなに額に汗して働いても結果が伴わない、報われ ... » more

古今東西、城と言えば必ず井戸や泉があった。水が湧き出る限り、どんな強敵に囲まれても耐える力があった。人生も同じです。心の奥底から絶えず愛が沸き上がり、喜びが溢れ、希望が流れ出るなら、どんな困難や悲しみに襲われても打ち勝つことができる。だ ... » more

私たちは誰もが何かしら重荷を負って生きている。そんな私たちに、イエス・キリストは、「わたしのところに来なさい。休ませてあげます」と招く。この温かな招きは、天地の創造主であり、私たちのいのちの源なる神、救い主だからこそ語り掛けうる言葉です。人 ... » more

 

最終更新日: 2016/11/10 15:37

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