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テーマ「ブルガリア」の記事を新着順に表示しています。(4ページ目)

46番目の偉人は、Antim総主教代理と言う僧侶です。ブル民族復興期の僧侶ではあるのですが、カルジャリ県という、Rodopi山系の東端に位置する、トラキア地方の貧しい家庭(父親は雇われ庭師、母親は助産婦)に生まれました。このブル南部地方は、 ... » more

44番目の偉人D.Nikolaevは、生粋の軍人で、露土解放戦争でブル人義勇軍部隊を率いた中隊長であったほか、解放後の第3次ブル王国における主要な事件にすべて関与し、何度も戦争相(国防相)を務め、更には、バルカン戦争時(60--61歳)にも ... » more

43番目の偉人は、珍しく経済界の人間です。Karlovo町という「バラの谷」に所在する、当時としては一定の商業的繁栄を誇った町の出身で、子供の頃から両親を亡くし孤児となったので、母親の兄弟(伯父)たちの支援で成長し、成人するとルーマニアのブ ... » more

42番目の偉人フリスト・ダーノフのその二です。★『15−19世紀の著名人』より追記(1)出生、教育1828年Klisura町のaba商人の家庭に生まれた。最初は地元の寺子屋で学び、その後俗人教育をPanagyurisht ... » more

ブルガリアの復興期においては、ギリシャ人僧侶たちからの宗教的自立運動、次いでオスマン帝国からの自立運動があったが、それらの根幹には、まず「ローマ人、ギリシャ人」と言うオスマン帝国時代のmilet概念から離れ、ブルガリア人としての民族的自覚の ... » more

41番目の偉人Georgi Rakovskiに関する、その二です。★「15--19世紀の著名人」からGRに関するデータを追記(1)ギリシャ国籍を取得、おかげで死刑判決から免れた1840年(19歳)帝都のギリシャ学校を卒業直後 ... » more

41番目の偉人は、ブル歴史書に頻繁に名前が出てくるGeorgi Rakovskiです。この人物も、帝都Istanbulでの活躍、投獄経験、国外追放・亡命など、数々の波瀾万丈の生涯を生きますが、一番の同人の資質は、解放闘争に関連する種々の夢想 ... » more

Georgi Benkovskiに関する、その二です。★GBに関する『15—19世紀の著名人』による追記(1)出生Koprivshtitsa町生まれ、本名はGavril Gruev Hlqtev。恐らく1841年 ... » more

40番目の偉人は、この百選の中では異例な非インテリで、小アジア半島を放浪したような、どうやら放蕩癖もある、お調子者の革命家であるGeorgi Benkovskiだ。日本で言えば、戦前の大陸浪人のような人物と言えば分り易いかも。とはいえ、 ... » more

NeofitBozveliに関する、その二です。上記の記述よりも時系列で、しかも内容豊富です。◎『15—19世紀の著名人』に基づき、更にNBの人物像につき追記(1)出自、綽名、教育初期のNBに関するデータは少 ... » more

39番目の偉人は、Neofit Bozveli・・・Bozveli(トルコ語で、規律に従わない破戒僧と言う意味だという)と言う不思議な綽名を持つ僧侶の話です。僧侶で、俗人教育に力を注ぎ、Svishtov町を有名な教育センターに育てます。しか ... » more

7月末にブル政局に関し記事を書いて以来、ブル政局の流れに関しては放置し、書いていないのですが、偉人百選の執筆に忙しく、こちらの方は少しお休みとしていました。今回は、世論調査結果が出て、議席数などもある程度見えてきたので、以下に総選挙結果 ... » more

さて、今回は、Nayden Gerovに関する、その二です。◎Nayden Gerovに関する追記上記以外の情報源から、更に下記に追記しておく。特に★★では、なかなか面白い事実(波瀾万丈の人生)が満載だ。★Gaberof ... » more

38番目の偉人は、ナイデン・ゲーロフと言う人物で、留学そのものは5年程度ですが、この期間にロシア国籍を得た。その後クリミア戦争時には、Plovdiv市のギリシャ系市民らから攻撃され、トルコ政府もロシア国籍を持つ同人を国外追放処分としたので、 ... » more

さて、今回37番目の偉人は、19世紀当時としては全く珍しいことですが、米国留学して米国式の思考方法を身に着けて帰国し、帰国後は若干オカルト的な新興宗教を開発し教祖となった人物です。信仰内容そのものは、キリスト教系の新興宗教と見えます。とはい ... » more

キモン・ゲオルギーエフは、36番目の偉人ではあるが、これまでの偉人達とはすこぶる異質の、謀略を専門とした不可思議な人物だ。そもそも、20歳で士官学校を卒業し(1902年、20歳)、その後は2度のバルカン戦争と第1次大戦に参加(1912--1 ... » more

35番目の偉人は、ドラガン・ツァンコフといいます。この男は、83歳という当時としては異例な長寿を全うした人物ですが、他方政治家としては、結構ふら付いて、異端・極端方向に走りました。そもそも、ブル教会の独立のために、カトリックとの ... » more

34番目の偉人は、ディミータル・ブラゴーエフです。社会主義時代には、ブル共産党の創設者として、9月9日の革命記念日における集団行進の際には、1番目に肖像画が登場する人物でした。2番目がGeorgi Dimitrovで、3番目がTodor Z ... » more

33番目の偉人は、ペトコ・カラヴェーロフです。この人物は、政治手腕にも優れていたほか、見識、政見にも一貫性があり、19番目の偉人St.Stambolovと同じリベラル党の指導者として、活躍しました。あるいみ、スタンボローフ政権の準備をしつつ ... » more

今回32番目の偉人は、Neofit Rilskiという基本的にはRila修道院を本拠とした僧侶です。この人物は、僧侶としての出世と言う視点では、最後にRila修道院の大修道院長となったくらいで、主教、府主教などの位階には就いていません。むし ... » more

31番目の偉人は、マーリン・ドゥリーノフという歴史学者です。1838年10月生まれですが、1858年以来ロシアに留学し、その後は著名ロシア貴族夫人に気に入られて家庭教師となり、子供らを教えると同時に、この一家に付き添って1865--70年の ... » more

暑い夏の日が続き、小生も毎日は散歩に出る勇気も失せました。その分、この偉人伝は次々に完成しているのですが。さて、30番目の偉人は、Petko Slaveykovです。オスマン統治期末期のブル民族としての自覚、そして民族解放運動に向けて、 ... » more

29番目の偉人は、ドイツのヘッセン州出身のアレクサンダル・バッテンベルク(Aleksandqr Batenberg)公です。ア公は、22歳の時、親しくしていた叔父にあたる露皇帝Alexander IIの推奨を受けてブル公として派遣されてきま ... » more

27番目の偉人は、V.Levski、H.Botev、S.Stambolov、Z.Stoyanovらの少し先輩として、民族解放闘争の理論構築に励み、新聞を発行して対オスマン革命闘争を扇動したリューベン・カラヴェーロフです。本人は、「革命闘争」 ... » more

第27番目の偉人はYosif総主教代理です。この項で作者たちは詳しくは言及していないのですが、19番目の偉人Stefan Stambolovのところで述べたように、Yosifこそは、スタンボローフの漸進主義に同調し、ス首相と同盟を組んだ ... » more

26番目の偉人は、ア・スタンボリースキです。第1次次大戦後には、世界中でボリシェヴィッキ革命、社会主義への期待が高かった時期ですが、工業化が遅れ、工場労働者が多くは無く、むしろ小規模農民(日本と異なり、土地がやせていて、雨も少なく、気候も涼 ... » more

25番目のブル歴史の偉人は、Georgi Dimitrovです。社会主義時代のブルでの生活を体験した小生としては、毎年ディミートロフ廟前で行われた9月9日の「革命記念日」の行進行事が、それなりに記憶に残っている。資本主義国の物質的繁栄を ... » more

24番目の偉人は、現在ギリシャ領となっているブル人町Kukush生まれの英雄ゴーツェ・デルチェフです。本人自身は「ブル人」と意識し、マケドニア地方を最終的にはブル国と併合することを夢見て、組織作りに奮闘した人物なのですが、歴史の皮肉と言うか ... » more

23番目の偉人は、第1次大戦後に即位し、第二次大戦中に、ヒトラーとの会談後の心労を元に死亡したと言われるボリス3世王です。1918年に即位したが、第1次大戦で経済的に疲弊し、領土的な夢も壊滅したブル国内では、農民党的共和主義、ファシスト系右 ... » more

22番目の偉人は、まだブル国の王たちが遊牧民風のハーンという呼び名で呼ばれていた、ブルガール族君主の統治時代に、ブル第1次王国の中央集権体制、行政機構、法律などを整備し(もちろん、未だに初歩的段階で、例えば、対ビザンツ戦でクルムが率いた軍隊 ... » more

 

最終更新日: 2017/08/07 18:51

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