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テーマ「自伝」の記事を新着順に表示しています。(3ページ目)

昭和16年8月、父に二度目の赤紙が届いた。名目は大演習、つまり関東軍特殊演習への動員である。ただし、前回も記したとおり、この演習は名ばかりで、現実は独ソ戦の成り行きをにらんだソ連への侵攻準備であった。したがって、満州の荒野で大規模な軍事 ... » more

父は除隊になって松山に戻ると、わずか一、二日の休養ののち、下駄工場に復帰した。工場を離れていた7ヶ月という期間は、ぼくのように還暦をすぎた身ならば、「しょせんは一瞬」と割り切ることもできそうだが、26歳という若さの父にとっては、とて ... » more

自伝風エッセー (10) 南京へ、そして台湾へ ここ半月ほど、専門職と考えている本来の仕事に熱中していたため、自伝風エッセイから遠ざかっていた。また、数日後にはアメリカを1週間ほど旅してくる予定なので、その間は書けない。ということで、今日は久しぶりに「自伝風エッセイ」を書 ... » more

昭和12年8月18日、上海で市街戦が始まると、たちまちそれは日中両国の総力戦へと突き進んだ。第二次上海事変である。この戦いに父は看護兵として動員された。生まれて初めて戦争のただ中に足を踏み入れることとなったのだ。9月5日の朝、父を乗 ... » more

昭和12年7月7日、北京郊外の蘆溝橋で日本軍と中国国民党軍が銃火を交えた。蘆溝橋事件である。最初の種火はさして大きいものではなかったが、それはあっという間に燃え広がり、7月28日には華北で、8月18日には上海で、大規模な戦いが引き起こされた ... » more

父には、看護という仕事がよほど性に合っていたのだろう。看護においては3つの要素が混じり合い、そのどれもが父の本性と流れを一にしているようにぼくには思われる。一つは、手先の器用さを含む技術的要素。職人的要素と言ってもよい。父が得意とす ... » more

自伝風エッセイを書こうと思い立ったとき、何はともあれ、父のことから書き始めないと治まりがつかないことに気づいた。それがなぜなのか。理由の一つが、今回の内容からわかる。いきなりその場面から始めてもよかったのだが、唐突感を緩和しようと思 ... » more

自伝風エッセー (5) 夢を育む 丸5日間にわたる長旅の末、昭和8年1月20日、父は大邱(テグ)の八十連隊本部に入営した。患者とのひととき。左が父。何と若い患者だろう。いよいよ一年半にわたる兵役の始まりである。兵役とはいえ、看護兵の父は、銃の撃ち方や塹壕 ... » more

父は、昭和7年5月3日に徴兵検査を受け、甲種合格とされた。入営は翌年の1月16日と定められた。集合地は広島。兵役期間は1年半である。入営前日の1月15日、母親に赤飯で祝われた父は、船で広島に向かった。父親の仙次郎、兄の兼光、それと新 ... » more

昭和7年5月3日。二十歳になって2週間になる。ついに今日、徴兵検査。男なら、誰もがくぐる関門だ。同級生30人ほどと学校の講堂に集まる。久しく顔を見なかった人もいる。仲男ちゃんは仕事先の新居浜からわざわざ帰ってきたらしい。最初 ... » more

父が北予中学を卒業してから、二十歳で徴兵検査を受けるまでの3年間は、ぼくにとって、父の最大の空白期間となっている。その間の父を知る直接の手がかりはない。父から当時の話を聞いた記憶もない。可能性としては、家の農業の手伝いをしていたか、 ... » more

マイ坊っちゃん幼い日々9
幼い日々9 幼友達のこと・劣等感の芽生え父が油揚げを始めた頃、玄関の土間で大豆袋に登って遊んでいた幼友達は、私を入れて四人だった。他の三人は、私の家から二軒西、すぐ裏、そして三軒東に住んでいた。二軒西の子は「みのるちゃん」、裏の子は「まあちゃん ... » more
テーマ 自伝 写真

マイ坊っちゃん幼い日々8
袋小路の話・パターン認識の話私の家が、南に玄関を持つ二軒長屋の東半分であったことは前にも述べた。この二軒長屋の北側に、やはり左右対称な二棟の家が背中合わせにくっついていた。裏の家は左右とも、南北に長い二軒長屋であった。つまりは、三棟 ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん幼い日々7
素人下宿油揚げを始めても、家計の苦しさがすぐに解消できたわけではなかった。戦前からの蓄えをただ食いつぶすだけの生活から、多少はそれが残る生活へと、わずかばかりの方向転換がなされたことに、父や母はほっと一息ついたというのが実情だったと ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん幼い日々6
油揚げ屋となった我が家父と母が厳寒の中、油揚げの製造技術を習いに行った先は、製造機械一式を売りに出していた廃業予定の店であった。買い手を探していることを伝え聞いた父が、技術の伝授とともに、機械・道具のすべてを買い取ったのであった。 ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん幼い日々5
卑弥呼の館私が三、四歳の頃といえば昭和20年代中頃だが、当時の松山にはまだ、敗戦直前に受けた空襲の傷跡が随所に残っていた。子供の記憶にもたしかなのは、焼け跡から春のツクシのように萌え出したバラックの仮住まいである。復員した男 ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん幼い日々4
油揚げの見習い四歳になるかならないかの、凍えつくような朝、私は突然眠りの底から揺り起こされた。天井から垂れた豆電球の明かりが、気ぜわしく動く人影を照らしている。陰になった背後には、黒々としたタンスが闇に埋もれていた。「起こし ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん幼い日々3
真珠細工、ウズラの卵売り職を定めるまでの二年間ほど、父と母は、真珠細工やウズラの卵売りで当座の糊口をしのいでいた。東一万町に引っ越して最初に始めた仕事は、模造真珠をつないでビーズを作る手内職だったと思われる。そのころの私はま ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん幼い日々2
他者の自覚、カタカタ押し幼い私が家族以外の「他人」を初めて意識したのは、東一万町に引っ越してしばらくたった、二歳半ばの夏だったように思う。それを物語る場面が記憶の隅に焼きついている。私の家は南が道路に面した二軒長屋の東半分、 ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん幼い日々1
トリ小屋に住む母と子・闇の原初風景「二歳の春」を端緒とする幼い日々の記憶を、時間序列にこだわらず、思い出すままポツリポツリと綴ってゆくことにする。敗戦から五年たった春、九歳の兄と二歳の私を連れた一家四人は、河原町にあった家を ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん二歳の春
自分の記憶を究極の原点にまでさかのぼったとき、そこにはどのような光景が開けてくるのでしょう。あるいはそもそも、遠い過去の漠とした闇の中で、記憶のスタート地点を探し当てることなど、できる相談ではないのでしょうか。さいわい私の場合、かな ... » more
テーマ 自伝

マイ坊っちゃん私と囲碁
私の碁歴はすでに35年ほど。最初に碁盤に石を並べたのは,中学3年の時だった。定石書を買ってきて,訳も分からず並べてみる。盤の左下隅を使って書かれた定石を右下に並べ替えようとすると,もう頭がこんがらがってわからなくなる。形も意味も何も分からず ... » more

マイ坊っちゃん油揚げ屋
父は生来手先の器用な人で、それに工夫好きであった。戦争前、父はその兄との共同経営で下駄工場を始め、兄の方が経理面、弟である父が技術面を受け持った。当時、下駄は生活の必需品であった。作れば作るだけ面白いように売れて、従業員数も増え、工場の規模 ... » more

マイ坊っちゃん女の先生
1954年4月、彼は松山市立東雲小学校に入学した。学校は、松山の中央にそびえる名城・松山城のすぐ北側に位置する。彼が入学した頃、生徒数はピークを迎えようとしており、学校は数の猛威に押しまくられて講堂や体育館までもが教室として占領されていた。 ... » more

マイ坊っちゃん亥の子
秋も深まり11月に入ると,われわれ子供たちは亥の子を心待ちにした。百科事典によると,亥の子の行事は中国に起こり,平安宮廷にもたらされたという。そんなに古い伝統をもつ行事だとは知らなかった。もとは,旧暦10月の亥の日に行われた。今日, ... » more
テーマ 自伝 松山今昔

10月7日の松山地方祭が終わった後も,子供たちにとっては祭りは終わらない。われわれ北小唐人の子供たちは,松山一大きな子供ミコシをかついだという誇りと興奮に酔いしれ,余韻が1週間あまりも尾を引くことになる。興奮の中心は樽ミコシである。 ... » more
テーマ 自伝 松山今昔

マイ坊っちゃん早朝マラソン
小学生の頃、冬休みになると決まって近所の仲間と早朝マラソンをやった。夏休みのラジオ体操と同じく、朝の六時すぎ、早く起きた者から順に誘い合って、三々五々、路地裏の集合場所に集まってくる。日の出前で、まだ外は真っ暗だ。なぜかこれは我々遊 ... » more
テーマ 自伝 松山今昔

マイ坊っちゃん農事試験場
上一万と道後の中間にある電停をかつて「南町停留所」といった。今それは「県民文化会館前」である。電停北側に「愛媛県県民文化会館」ができ、電停の名称も変わった。県民文化会館は、「西日本有数の規模と設備を誇る文化会館」とのふれこみで十年ば ... » more
テーマ 自伝 松山今昔

マイ坊っちゃん祭りの思い出
全国に名城と名のつく城は多いが、松山城はその中でも最上級の部類に属する城だと思う。松山の町のど真ん中にそびえる100メートルあまりの山の山頂にあって四囲を睥睨していること、山全体を城郭とする立体的かつ広大な規模の城であること、天守閣の姿が見 ... » more
テーマ 自伝 松山今昔 ひとりごと

マイ坊っちゃんダンスホール
ダンスホールは戦前からあったらしい。だが、戦前のことを私は知らない。終戦後、服も食べ物もろくにない焼け焦げた日本の都会で、人々が明るい希望を求めて集まってきたのは、ダンスホールか喫茶店であった。全国いたるところ、都市という都市には必ずダンス ... » more
テーマ 自伝 松山今昔 ひとりごと

 

最終更新日: 2016/12/04 03:17

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